昨日のこちらの記事

くくりひめシリーズの2部作目だよ~☆




最初の方ちょっと暗いけどw
今の変容時期に起きた、わたしのこと、包み隠さずお話します
ぜひ読んでみてね






それは6月29日の午後のこと。





昨日の午後から、めっちゃお腹が痛くって
久しぶりに痛い思いをしたわたくし🌟



ラベンダーやオレンジなど、思いつくものはヌリヌリしたし
横になればなるほど痛い



鍼灸院へ行ったけど、それでも痛くってさ―――


夜中なんか このわたしが鎮痛剤を飲もうかなって思ったほど。
(カラダが冷えるから、できるだけ飲まないの。)






いつもカラダの痛みがあるときには
そこに意識を向けて声を聞いて解消するのだけれど

その日はなかなか出てこなくて



「こりゃオオモンだな・・・」とのたうち回りながら思っていたのです。







夜中の2時をまわって

やっとやっと、痛みちゃんが
声を出してくれるようになってきました。






そしたらね、

「今まで頑張ってきた理由」が、たくさんたくさん出てきたの。





わたしは4人きょうだいの長女だから
下が生まれるたびに、愛情がどんどん下の子たちにいっちゃう。


だから

いい子でいて
お手伝いして

そしたら、みんながわたしを見てくれる。





だから、頑張っていた。




この記憶からはじまって




「がんばったけど、それでも、わたしは上手にできない」って
わんわん泣いてたの。





上手にできないと愛されない。



そんな気持ちと経験が

頑張らなくちゃ意味がない、
上手にできるようにならないと、認めてもらえない
仲間に入れてもらえない、

だからもっとがんばらなくっちゃって、いっぱいいっぱい、自分を追い詰めてた。






父がいなくなってからは

どんどん、痛みを感じる感覚も
鈍くなって・・・





中学生の頃には
もうね、

目が死んでた(笑)←今だから笑い話だけど、その日はここで号泣したw






自分を追い詰めることがエスカレートして

自分の体力や、気力や、
肉体も、こころそのものも、全部を家族や、誰かや、何かに「捧げる」ことが
癖になってね。






実際に
母にお金をあげたくて、肉体を売ろうとしたこともあるし

すべてを懸けて、わたしが家族を護るんだ






って、それしか考えてなかったみたい。








社会人になってからもその体質は続き
母も「ちえに言えばなんとでもなる」とちょーしに乗りw


心のことを学びはじめるまで、わたしは「そういうもんだ」と思っていました。




親に対して、家族に対して自分にできる最大限のことをすればいい、と。








もう感覚は完全にマヒしていたのでね、
自分がどれだけエネルギーを与えすぎていたか

それが本当に家族のためになっていたのか?なんて、考えもしなかったのね。

実際は
わたしが手助けしすぎたことで、家族が自立するチカラを
奪っていただけだったの。






わたしはいつも「与えることはとても上手」「もっとあなたも受け取るべき」ということを
いろんなところでいわれてきたから


家族だけじゃなくてね、きっといろんなところで
いろんな人に自分を捧げて、甘やかしてきたんだと思うな~




自覚がないから怖いよね






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死んだ目をしたわたしの記憶の断片を
「ごめんね、ごめんね」って何度も抱きしめていたら


IMG-1744
こんな感じで、赤ちゃんの頃のわたしから
今のわたしに繋がる、ひとすじのルートが見えました。





それはまるで、母の産道のような不思議な時空間なのだけど

「あぁ、わたしはここを通って、もう自分の道を歩んでいいんだな」

って

とてもホッとしたのです








“行動することが素晴らしい神話”の崩壊。




行動する事、なにかを「する」ことの裏側には

本当はなにかを与えられたくて、それをやっています。





わたしのように、なにかを過度に捧げるほどではなくても

仕事をすることで収入が欲しい、とか
結婚することで安心感が欲しい、とかね。


行動の裏には、必ず自分の求めているものがある。





求めているものが何であれ、それを突き詰めていくと

結局わたしたちは、愛されたいだけなんだということに気付きます。






愛されたい。愛されていることを実感したい。
求められていることを実感したい。





ほんとのほんとは、ただそれだけなんです。



でも、、、それってほんとうにいい命の使い方なのかなぁ?





だって命って、
もともとは
あかちゃんそのまんま。

いるだけで愛される

愛のカタマリだったはずだよ。







IMG_2162 (1)
(ケンさん、歯がないっw)




ただそこにいるだけで愛される。




愛しくて、いっしょにいることが嬉しくて
たのしくて
微笑ましくて。





その基本的な命の躍動に、今わたしたちは戻っていくときです。




何かができるからすばらしいんじゃない。
ただここにいることが、すばらしいんだ。




命には、なんの不足もないんだよ。








愛されたくて、認められたくて行動するとね、
不安から動いていることになるから

世の中に不安をまき散らしてることになるの。





だから

わたしたちは、もうそれを辞めて
愛されるために産まれてきたことを、認めよう♡



これこそまさに、
くくりひめがわたしたちに一番伝えたかったメッセージです。






IMG_2158 (1)


愛されるために、産まれてきたよ♡


光のルートを通ったわたしは、「もう赤ちゃんのまんまでいいやぁ~~~」って
心底そう思いました





だってわたし、自分が思っている以上に甘えん坊さんなんだもん

あなたもきっとそうでしょ??




バブバブ言って、
おひさまの光であそんで
風であそんで、
癒されて、

ガーゼの心地よさ、
誰かの腕の中、
ひざの上、、、


いっぱい甘えて、チヤホヤされたい





きっとこれ、一番原始的な欲求なんじゃないかなぁ??








人が“当たり前に”生きていくには

もうなんにも与えようとしなくていいし
愛されることを望んでいいし

いろんなことを、してもらってもいい。







「してもらってもいい」って、わたし自身になにかをしてもらう、ということでもあるし

今までいろんなことを人に対してしてきたけど、これから自分のことは自分でしてもらう、という意味でもあるよ☆








わたしたちはもう、

夢を見て、
愛されて、

いのちそのまま生きていく。





みんなも赤ちゃんに戻っちゃおう!!


あかちゃんは、夢を見るのが仕事です。






ファンタジーを現世に降ろす。

昨日くくりひめが言っていた「ファンタジーを現世に降ろす役割」というのはこういうことで、

わたしたちが夢を見るということは
個人のレベルでも、地球全体のレベルで見ても、とても大切なことだと言っていました。






なぜなら地球の周波数が変わった今、
現実を創るのは
目に見える行動だけではなく、見えないこころの部分に比重が多くなっているからです。









こころが現実を創っていく―。


過去男性性の時代は、「目に見えているもの、結果、成果、行動こそがすべて!!」という時代でした。



今はもう女性性の時代ですから
「目に見えないもの、結果よりもそれに至るまでのプロセス、行動のもとになっている想い」が
現実を創っていきます。





どういう想いで、それをやっているのか?ということに対して
宇宙や地球はとてもシビアです。



わたしたちが愛から行動すること、、

つまり

夢と希望のワクワクしたエネルギーでいることを望み
沸き上がるウキウキしたきもちでいることが、わたしたちの現実を創りだすエネルギーになります。



宇宙がいうには、

これからの現実をサクっとつくるバランスはね、



なんと!!






想い85%:行動15% 




もっと言うと、想い90パー、行動10パーで いいんだって




ねぇねぇこれすごくない??(≧▽≦)






ほんとにもう、
夢をみること、空想、妄想がどれだけ現実を創るのか
みんなで実験してみようよ





明日はかに座の新月。


書いたり、絵を描いたり、妄想したり、、

あなたの好きなやり方で、いっぱいいっぱい夢を見てみよう




もうほんと、ちょっと思うだけでも全然叶うよ








わたしたちが空想、妄想をしているときにどんなことが起きているか?を知ると
もっと理解が進むと思うから
先日東京ワークショップでお話した大切なことを交えて、noteにまとめます!

こちらもお楽しみに♡









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